今年に入ってから仕事に関してかなり心境の変化がありました。
音楽教室は変わらず小規模ながら細々と続けてはいますが
演奏の方は色々と考えるところがあって、ここ数年は少なくなっていました。
昨年のクリスマス、長いお付き合いの方から依頼があって
とあるピアノバーで仕事をしてきました。
集まったお客様の紳士淑女の中には見知ったお顔もあり
私としても懐かしく楽しいクリスマスパーティになりました。
お客様のひとりT氏とは20年以上前からのお知り合いで
当時はまだ大手企業の課長さんだったように記憶してました。
「久しぶりだね、君が結婚して仕事を辞めたって聞いて残念に思っていたよ」
お世辞でもそう言ってもらえるのは嬉しいもので、有難うございます、と言いつつも
やはり心の裡には、一抹の気恥ずかしさというか、かすかな自己嫌悪に似たような
妙な感覚が起こったのです。
この自己嫌悪に似た感覚が、ここ何年か私の中でくすぶっており
人前でピアノを弾いたり歌をうたったり、という一連の「仕事」が
自分の中で受け入れられないでいたのです。
若い頃、毎日毎晩ピアノに向かっていた頃は、なんの疑問も抱かずに
それこそ夢中でステージをこなし、拍手やライトを受けることが当たり前に思われ
もっと正直に言ってしまえば、賞賛されるコトバを全て丸呑みしていたものでした。
高慢と自信は紙一重なのに、それすら解りもせずにただ舞い上がっていたものです。
結婚を機にほとんどの仕事を辞め、事務所から打診される仕事のなかで
自分の出来るところだけを、ほんの少しだけつまんではこなしていましたが
出産と同時にそれも控えることにしました。
子供が少し大きくなってくると、地方の仕事も含めると年に数回は出かけていましたが
それも事務所を辞めて完全にフリーになってから、回数も減りました。
家庭のなかにどっぷりと浸かっているのが楽しく、年もとってくれば目も悪くなる
老眼鏡をかけたピアニストなんてねえ・・・と、これもまた言い訳にしていました。
そんな毎日だったので、クリスマスの夜も気持ちは大して盛り上がらず
たくさんのお客様のお耳汚しに・・・静かなクリスマスソングでもBGMとして弾いて・・・
あまり目立たぬように・・・などと思いながらピアノの前に座ったのです。
ああ、あそこに座ってるU子さんは「Take Five」がお好きだったっけ。
Sさんは演歌が、特にひばりさんの歌がお好きだった。
古い顔ぶれを見ていると、次々に思い出されて自然に指が動きました。
そしてその方たちが喜んでくれて拍手を下さると、やはり嬉しくて
ほんのちょっといつもの気恥ずかしさが薄れるような気がしたものです。
ああ、T氏は「慕情」がお好きだったなあ、いつもリクエストしてくれたなあ、
そんなことを思い出しながら、一回目のステージは終わりました。
休憩中にT氏が私の隣に座って、しみじみとした口調で話してくれました。
あの当時難病を患っていたお嬢さんがいらしたこと、会社の中で派閥争いがあったこと
その数年後お嬢さんが亡くなられたこと、奥様が倒れられたこと・・・
「あの頃『慕情』の歌詞が身に沁みてねえ・・・私の忘れられない曲だったんだよ」と。
「その曲を今日弾いてもらえて、本当に嬉しかった」と。
Love is a many splendored thing・・・
本物の愛とはたくさんの輝きに満ちている・・・
Yes, true love's a many splendored thing.
その夜、私はなんだか目が覚めたような気がしました。
謙虚であるということの意味を間違えていたことに、今更ながら気がついたのです。
私のような者のピアノでも泣いて下さる方がいる。
一曲にこめられた様々な思いを懐かしんでくれる方がいる。
ならばアレコレ理屈をこねたり言い訳をせずに、素直に一所懸命に弾けばいいのだ、と。
主婦であるワタシがスポットライト浴びてスミマセン申し訳ないです、などと
そんなふうに思いながら弾くことの方が、礼を失することであり恥ずかしいことだと。
その日私は思いました。
なんだか目の前が開けたような気がしたのです。
主婦がピアノを弾くんじゃない。
ピアノ弾きが主婦をやってるんだわ。
と、どこかの女優さんのセリフのようなことを思いました。
今度仕事の依頼があったら喜んでお引き受けしよう。
クラシックやジャズや、ジャンルなんかにこだわらずに
その場に居る人たちの心に届く曲ならば、演歌でも童謡でもポップスでも
なんでも弾きまくろう!!と、そんな気持ちになりました。
いったんそう思えるようになったらお調子モンの私のことです。
もうどこでも行くからねっ、ボランティアの慰問だってOKだし、新年会の余興でもよかですよ。
・・・ってなことになってしまいます。はははー。
当分これで迷わずにやっていけそうです。
音楽も詩も文学も、聴き手や読み手やの思惑を気遣うのは大切でしょうけれど
自分自身が何を伝えたいか、ということも大切なんですよね、きっと。
そうです、どうせやるなら真剣に。そして派手に。
武ちゃんも毎日TVで言ってるじゃないですか。
「ひとつ、派手にいきますか!」