このところ本格的に寝込む、ということがない。
年齢的には更年期にさしかかっているはずだが
(いやもうしっかり入ってます、というドクターも居た
)
なんだかハイな状態が続いている。
なんでだ?と自らに問うてみれば、無駄なあがきをやめた・・ということかな。
自然のままになんとなく、流されるのではなく流れて日々を送る・・
ってことに気付いたからかな。
「これも運命だ」なんて大仰なことを考えているわけではないのだが
なんとなく
抗うのはやめよう、とぼんやり思っている。
普通に日々を送っていても、まあそれなりに嫌なことや煩わしいことは起きる。
数年前までは結構アタマを抱えたり嘆息したり、腹を立てたりしていた私だが
ここんとこそういう感情があまり起こらない。
ま、どうにかなるでしょ。
なんとかなるわい。
本気でそんなふうに思えるようになった。
ワタクシこう見えても、幼少の砌には結構ウジウジと思い悩み
しょっちゅうベソをかいたり泣いたりする子なのであった。
小学校の文集には
「正当な理由なくして悲しい気持ちを持つな」
なんてね、そんなコトバを書いたりしていたものだった。
(なにかの本に書いてあった言葉なんだけどねー)
そんな子だったので本を読んだりピアノを弾いたりという
いわゆる「ひとりでできるもん」なコトが
すごく気の休まるコトだったわけです、暗い子供やな〜。
まあオトナになってからも、まだちょこっとそういう部分が残っていて
あーでもないこーでもない、とひとりで悩むタイプではあったので
今から約5年前にHPを立ち上げる時に「Que Sera Sera=なんとかなるさぁ」という
サイト名をつけたわけなんです、はい。
それがここんとこ、ちっとも悩まない。
いえね、フツーにめんどくさい問題なんかもあったりはしますねん。
でも逆らわない、受け容れる、自然に身をまかせる・・
と思うことにしてから、すごーーく気が楽になったわけです。
たとえば
親が倒れた、駆けつけなきゃ! ええ駆けつけますとも。
でも必要以上にオタオタしない、どーんと構える。
だって焦って舞い上がっても事態は変わらないわけですもんね。
仕事が重なってこっちを取ればアッチに不義理! しかたないなー。
カラダはひとつしかないんだから、まあゆっくりと決めましょうぞ。
ってなもんで、とにかく自然に自然に。ジタバタせずに自然に任せる。
そうすると、なんだか気分がいつもすっきりしているような気がするんです。
風邪をひきかけても、そのうち治るでしょ、と思ってると治る。
喉のお医者様にだって1ヶ月ちょっと通ったけど、そして
「しばらく様子を見てていいですよー」と言われたけど
その時も、もし癌でも仕方ないかなー、と全然動じなかった。
でもね、これ書きながらふと思いました。
こういう考え方って、あれじゃない?
「私は努力したくないので、なーんにもしないことに決めました」
って言ってるのと同じじゃない?
理屈をこねてるだけで、自分では何もしないでただぼーっとしてる・・
というそんな能天気な状態のことを言うんじゃない?
わははは、自分勝手な自分に大甘な「悟り」なんだよねー。
中年真っ只中で、ますます横着さに磨きがかかったってことかな?
でもいいさ。開き直りだといわれてもいいさ。
だってワタシごときが精一杯抗ったところで、なにも変わらないもん。
気持ちを楽に持って、んで起きたことに対しては逃げずに立ち向かう。
これしかないもんねー、ワタシ。
ってことで、洗濯物が乾かないけど気にしない
晴れる日が来れば乾くのだ。
そういうふうに暮らしていくのだ。
それでいいのだ!
・・・・・・・・・・・・多分